「ひとりじゃない」って思えた『手当て』@昭和の看護婦さん


冷たい風の中、自転車を走らせたら、顔が痒くてたまらなくなった。
寒い時期、運動すると痒くなる、あの感じ。

そのかゆみで、ふと、思い出した。

(✿◡‿◡)


小学高学年の夏、約一ヶ月入院した。
内臓の病気で、症状は多岐にわたっていた。発熱、嘔吐、下痢、倦怠感、身の置きどころのなさ、など。

はじめは蕁麻疹がひどくて、痒くてたまらなかった。
蚊に刺されてぷくっと膨れたような発疹が、全身に幾重にも重なっていた。

親の付き添いなどはなくひとりで、普通に大部屋のベッドに寝ていた。
朦朧とした意識の中で「このまま死ぬのかな」とぼんやり思っていた。


その夜も、痒くて寝れなかった。
普段から気遣いしてくれる看護婦(当時は看護師さんとは言ってなかった)さんが当直だった。
様子を見に来てくれて、しばらく後に、冷たい濡れタオルをもってきて、それで拭いてくれた。
ほっとした。安心した。

こういうことが『手当て』なのかも。

冷たいぬれタオルで一時的に楽になる気はするけど、それで治るわけではない。
それでも、手を握ったり背中をさすったり肩をもんだり、人にやさしく触られると、気持ちが落ち着いたり安心したりする。
寄り添ってもらえてると感じた。

ひとりじゃないって思えた。

最近、病気を治すのは患者本人の治癒力だときいた。
医療はそれを助けてくれるだけ。
科学的に説明できなくても、そういう『手当』って生きる力になると思う。

あの看護婦さん、今頃どうされてるのかな。
お名前も忘れてしまったけれど。

(u‿ฺu✿ฺ)

いろいろと思い出したので、
昭和の個人病院の入院時の思い出も、
気が向いたら書きます♪

(✿◡‿◡)

11月からは更新頻度を下げてみます。
Duolingo的に気まぐれに継続したほうが「止めない」でいられそうなので。



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